第2報告(11:10〜12:00)
「胡適の文学史観について」
大橋義武(東京大学大学院生)
 今日では学科制度としても著述様式としても定着しているが、「中国文学史」は19世紀末から20世紀初頭にかけて登場した比較的新しいものであった。そもそも「文学史」というもの自体が西洋において主に19世紀に発達した新しい学術であったが、中国がこれを取り入れるのには更に時間と段階を要したのである。20世紀初頭には「中国文学史」と銘打つ学科や著作が現れているが、これらは現在のそれとはいささか異なる特徴を持ったもの――ごく簡単にいうと、歴代の色々な文章を学ぶためのもの――であった。今日に連なる近代学術としての「中国文学史」の学科や著作及びそのための方法論が確立されるには、1920年代以降を待たねばならなかったのである。
 学科制度や著作様式の遷り変わりをたどってみると、先に述べた20世紀初頭の「中国文学史」からの大きな変質――西洋的な「文学史」という意味ではむしろオーソドックスに近づいたのであるが――が起こった1920年代が重要であることが見えてくる。この変化の中心にいたのが胡適であった。胡適の文学史観は、次の三点の特徴を持っていた。第一に、近代西洋的文学観を基礎としたこと。第二に、進化論を核とした明確な歴史観を備えていたこと。第三に、文学を国民全体の財産とみなしていたことである。これらは程度の差はあれ後続に大きな影響を与えており、胡適の仕事は一つの極めて重要なモデルを提示したものだということができる。
 胡適が示したのは、意識的に西洋の新しい方法を取り入れることで自国の「文学遺産」を整理するやり方であった。当然そのこと及びそのことを自明として受け入れてきた歴史が内包する問題は別に検討されねばならないが、外来の要素と自前の蓄積(「伝統」)をどう結びつけるかという近代学術形成に伴う問題に一つの「解決」が与えられていたということは、近代学術の枠組み自体を問い直そうとする今日的関心からみても興味深いといえよう。