歴史・社会―5

上海市における農村出身者コミニュティの形成過程とその社会・経済構造

 

原田忠直(日本福祉大学非常勤)・西野真由(日本学術振興会特別研究員)・大島一二(東京農業大学)

 

 中国で改革・開放政策が実施されて20余年が経過したが、現在においてすら厳しい統制下におかれている生産要素の一つとして労働力があげられる。これは、農村に滞留する膨大な規模の余剰労働力が都市に急激に流入し、過剰都市化現象が発生することを回避するために、中国政府が1950年代から一貫して、「戸籍管理制度(戸口制度)」にもとづく農村から都市への人口流動を制限する都市・農村隔離政策をとってきたことに由来する。

 しかし、こうした厳しい制限が存在しているものの、実態としては、主に経済的要因から都市への人口流入、定着が恒常化しつつあることも事実である。その要因は大別して、@低賃金労働や3K労働にたいする都市側のプル要因によるもの、さらに。A農村側の余剰労働力の滞留による高いプッシュ圧力によるものに区別できよう。近年そのいずれもが高まってきており、流入は増加傾向にあると考えられる。たとえば本報告の対象地である上海市では、上海市内に戸籍を持たない流動人口は、公式統計でもすでに常住人口の約2割に達している。当然のことながら、このように、都市への人口流入の大規模化にたいして当局からの様々な形での統制圧力が加えられているが、膨大な人口流入の前にこうした都市当局の管理制度はいくつかの局面でしだいに無力化、形骸化しており、流入人口が着実に都市での基盤を固めつつある。それは我々研究チームが別稿で示したように、農村出身者の上海での滞在時間が長期化し、かつ一家を挙げての移動が一般化するなど、いわば出身地の農村から都市への「移住」ともいえる現象が発生しつつあること、さらには、彼らが農村出身者のコミニュティを徐々に形成しつつあり、従来まで農村出身者のインパクトが個別の点的な動向にすぎなかったものから、しだいに面的な広がりを持ちつつある事実に基づくものである。もしこうした動向が、他の多くの都市で一般的にみられる事態となれば、これまでの中国社会において農村と隔離されているという意味で特徴的であった都市の構造に大きなインパクトを与えることとなることはいうまでもない。

 こうした状況の中で本報告は、@1991年より約10年間にわたり定点調査を実施した上海市の一つの地区で、どのように農村出身者コミュニティが形成されたかを明らかにする。A農村出身者コミュニティ内には、いくつかの同郷者ネットワークが存在しているが、本報告では、同郷者ネットワークによって組織されている農産物流通シンジケート、建築業シンジケートなどの実態を紹介し、農村出身者コミュニティ内部における同郷者ネットワークの位置付けを明らかにする。B農村出身者にとって生活・就業において同郷者ネットワークが果たす役割は決して小さくはないが、それだけでは都市におけるさまざまな困難を克服できないことも事実である。なかでも生活面において必要不可欠な教育、医療などの比較的公益性の高い組織(施設)が農村コミュニティにどのように形成されているかを明らかにする。このように本報告では、農村出身者コミュニティが形成されつつあるなかで、同郷者ネットワークと農村コミュニティの関係を整理し、農村コミュニティの実態、動向を明確にすることが主要な目的である。